2004年9月3日:まもなく1年

 久しぶりの更新です。台風16号の風は結構凄かったですね。過ぎ去った後は秋が来ましたね。朝晩涼しいです。

 さて、まもなく1年。昨年の9月8日に仕事先で具合悪くなってC病院に緊急入院したんだっけなあ。あっと言う間という感じでもあるし、長かったなあという感じでもあり、色々思い返すことがありますね。

 結局何だったんだろうなあ・・・と。25年前の虫垂炎手術の後遺症、ということではあるのかもしれないけど、腸閉塞ってホントに厄介だなあと。一時は腫瘍の存在まで疑われて、どうなるかと思い、思い切って手術を受ければ腫瘍はないし・・・

 年契約の外資系の仕事も、入院中に契約満了で継続契約出来ず。

 治ったと思ったらまた発作。

 救急車には2度も世話になっちゃうし・・・

 最先端といわれる内視鏡で観て貰っても、結局はよくわからない・・・

 食事が多すぎ、と、主治医や家族に指摘されるものの、このところはかなり普通に食べても救急車にお世話になるような状態には至らないし・・・

 西洋薬も随分飲んだけど、6月以降は薬は漢方主体。漢方は本来即効性なんだそうだけど、著効という感じではないし。でも、週1回の通院・診察で、徐々に生薬配合が変化してきて、何となく効いて来ている感じはします。

 過敏性腸症候群という診断が何度か出たけど、僕の感覚としては、25年前の虫垂炎の癒着後遺症だったところに過敏性腸症候群となったため、手術既往がない人だったら腸閉塞までには至らないけど、ボクのように手術既往と癒着がある場合には腸閉塞になっちゃうと、そんな感じがしてます。で、そこ加えて厄年という歳廻りで、全体的に体力が落ちたり、精神面での影響、まあ、一般にストレスって言われているような要素が加わって、今のような状態があるのかなあと。だから、これらの要素がゴッチャに絡んでいるのを、自分なりにひとつひとつ解いていくというのが、治療・養生になるような気がします。

 「無職」の病人、というレッテルは嫌だなあと、2月に個人事務所を開業したけど、結局その後の再入院やら何やらで、ほとんど開店休業。営業活動もなかなかままならず。また、取り組んだ分野の業界は、最近ちょっと様子が変わってきて、かつてほど活発な売り手市場じゃなくなってきました。この仕事を薦めてくれた友人と、2月から4月に掛けては随分積極的に営業活動に出たり、実際の仕事の場面を立会い見学させていただいたりして随分お世話になったんですが、今、その友人も新規顧客の獲得に苦労しているとのこと。

 わずかなたくわえも徐々に減ってきてね、このままじゃいかんなぁと。ならば仕事探して再び勤め人に戻るかなあ。出来れば自分の事業を継続したかったんだけど・・・しかし、稼げないんじゃしょうがない。

 ということでね、41歳というオジサン年齢ではあるけれど、6回目の転職にトライしようかと思ってます。アーチェリー銀メダルのオッチャンが、あまりにも自分のことを「オヤジ・オヤジ」と連発するんだけど、41歳って、そんなにオヤジ年齢なのかなあ?まあボクの精神年齢が低いってこともあるかもしれないけど、自分の感覚としてはもうちょっと若い気分なんですよね。ただ、厄年ということもあって、色々気をつけないといけないってことはあるでしょうね。

 嫁さんいわく、最初は午前中3時間ぐらいのバイトからでも良いんじゃないかと。それも一策ですね。

 人材会社に履歴書・職務経歴書を登録したら電話が掛かってきて、面接ってことになりました。この歳とね、病気のこととね、これまでの転職歴なんかがね、果たしてどう影響するだろうか? 何箇所ぐらい面接したら決まるだろうか? と、考えるところは色々ありますけどね、久しぶりにスーツ着て、町に出て、あっちこっちの会社を廻るっていう行動を、ひとつのリハビリとして考えて、採用されるされないは二の次として、動いてみようと思います。あんまり背伸びしないでね。会社訪問1日1件ならば当面、体にもそんなに負担にはならないし。潜在意識としてもね、こんな病み上がり、しかも40歳過ぎの俺が、簡単に採用されるわけはないよっていう意識もあるのでね。仮に採用、なんて話が出てもね、就職するかどうかは慎重に決めたいと思います。

 つづきはまた。

           このページのトップへ            この前の呟きへ               この次の呟きへ