2004年12月21日:いろいろと思うところ

 をを、今日は冬至ですよ。朝からせっせと南瓜を煮ました。ついでに昨日の鯛釣りの外道で釣れた35cmのゴマサバもね、味噌煮にしましたです。朝御飯は南瓜にサバの味噌煮、お粥に味噌汁、柴漬け。このところの体調ならばおそらく何を食べても平気そうですが、朝のお粥と、魚、野菜の煮物ってのがね、凄く良い感じなもんで、このところ続けてます。南瓜の煮物も随分上手に出来るようになりましたけど、今朝はボーっとしててちょっと焦がしちゃった。でも、かえって香ばしくてね。

 淡路岩屋のキビナゴ煮干しを最近使ってるんですけど、南瓜煮るときは勝洋丸で戴く東京湾の早煮昆布と合わせて出汁にして、取り去らずそのまま煮ちゃうんです。酒と醤油、みりんが煮詰まってね、煮干しも昆布も美味しくなるんでね。いずれも栄養価満点ですし。

 この「と〜るの呟き」も、病気がきっかけで書き始めたわけですけどね、ホームページに公開することで、想像を超えた色んな影響が出てきますね。

個人開設のホームページだけど、公開しているから、ある意味、誰に読まれたっておかしくないですしね。雑感日記的なコーナーであっても、本人の意図と読み手の感じ方ってのは時として大きなギャップがあってね。で、良きにつけ、悪しきにつけ、影響も様々です。

 まあねえ、インターネットなんてものはそもそもそう言う性質のものですから。

 パソコンも随分安くなって、常時接続のブロードバンド環境も随分整備されました。パソコンも一時の贅沢品から、ほとんど家電になりましたしね。一人一台も「或る程度」当たり前ですね。

 8月の退院以降、病気については本当に悩んでね。色々精神的に辛かったですよ。本当に回りの人には色々気遣ってもらってね、申し訳ないと思うんだけど、時としてその気遣いは本人にとっては「えらい迷惑」になることもあるんですね。だもんで中秋の頃は更新するのもイヤになり、メールを読むのもイヤになりました。別に筆無精になった訳じゃないんですよ。体調は一向に良くならない。お金掛けて医者に行ったって、術後イレウス、腸閉塞に対しては一般的なリアクションしか帰ってこないしねえ・・・・。

 インターネットで調べるとね、かつては術後イレウスに対しても積極的に癒着剥離手術をやっていた時代があったんですね。そうそう、以前書いた弟の友人のE君の話題なんかはその当時のエピソードになりますね。でも、今は非常に消極的。それでもね、閉塞症状を繰り返す場合にはやっぱり切って剥がすんですよね。しかし、外科の先生は結構いやがりますね。手術の前にね、同意書ってのを書くんですけど、術後合併症について、腸閉塞に関する記述が必ずあります。まあ、わかりますよ。どんな世界でもね、責任がついて回るから、やばそうなことについては事前にね、患者に納得してもらいたいと。同意書にサインしなければ手術してもらえないんですから。

 まあ、一応は調べてるんです。積極的ではないながらもね、都内のある大学病院が腹腔鏡による術後イレウスの剥離手術に取り組んでいてね、最後にすがるのはそこかな?って、思ってます。

 術後イレウスについてはね、あるお医者さんのHPでは「研究しても答えが出ないだろう」ってね、書いてあるんです。その先生にメールで相談したこともあるんです。去年、腫瘍の疑いがあったときにね、切ろうかどうか悩んでいた時に、メールしたんです。まあ、その時のやりとりはおいといてね、その先生も術後イレウスの患者とトラブルになって、その患者さんが転院して行っちゃって悩んでると。その人もHPは開設してるんだけど、今年の春先にメールは受け付けなくなっちゃったなあ。

 癌治療とか、その他の難病に新技法が開発されている裏でね、結局オペをやって主たる病巣を切り取ってもね、術後イレウスとか、リンパ浮腫とかね、術後合併症に悩む人は多いんですね。で、「命と引き替えなんだから」と、納得するしかないんだみたいな説明されてね、とんでもないですよ。リンパ浮腫については術後QOL改善のための色々な研究がされてるみたいですけど、術後イレウスについてはね、もうちょっと研究して欲しいですね。癒着防止素材なんかもあるんですけど、扱い辛い上にね、保険で認められているのは1オペ2枚までだって。それ以上使うと保険外だから、今取り沙汰されている「混合医療」のことを考えると、現行制度だと、お医者が余分に使った素材費分泣くか、余分に1枚フィルム使って、全部保険適用外の自由診療にするか・・・患者当人にしてみればいい加減にしてもらいたいって話題ですよねえ。僕のオペの時はどのぐらいの面積のフィルム、何枚使ったんだろうか?

 前に勤めていた時代にお会いした睡眠障害を研究されているS医大のY教授がね、仕事でお茶をご一緒したときにね、「医療と経済は両立しないんだよね」と、しみじみと語られて居たのを想い出します。Y先生、元気かな? ひょっこり尋ねて行って、お会いしたいなあ。僕が提案した睡眠障害研究の特殊照明が、当時同僚だったU君の手によって実現して、すでに設置されているはず。それも見たいしね。

 この1年あまり、色んなお医者さん出会ってね、随分お世話になり、感謝する部分もあるんだけど、細かいことを言うとね、色々難しいものがあります。うまく書ければいいのだけど、追々書きたいと思います。

 そうそう、そう言えば、腫瘍の疑いの出た去年のアンギオ検査。あの検査をされたM先生、なんと今、この世にいらっしゃらないのだそうです。検査されたご本人に直接話をしてみたいなあと思って、8月に入院中、親しかった看護婦さんに尋ねたら
「M先生、実はお亡くなりになったのよ」って。あのときはちょっとショックだったなあ。去年の手術、何だったんだろうって思うことに、さらにアンギオをやってくれた先生がこの世に居ない・・・「読影」について、詳しく聞きたかったんだけどね・・・このことにもね、随分悶々としたですよ。

 さてと、お医者さんの話はまた今度書くとして、ちょっとインターネットの話に戻りましょうかね。

 インターネット、やれ楽天だ、yahooだ、あるいはライブドアだと、色々大騒ぎですけどね、やってみりゃ何のことはないですよね、すでにやってる者にとっては。

 情報窓口としての間口が拡がるから、その分、便利さとリスクが同じ比率で拡大するだけなんだよね。だから、インターネットの有無にかかわらず、かかわる当人の「常識」の問題だと。もちろん、関わり出すとね、個々人によっての「偏り」ってのはあるけど、でも、それってインターネットだから、ってもんじゃないよね?

 関わりが増えて邪魔くさくなれば、自分で制限すりゃいいことですし、人間一日、一生にできることなんて限られてますから。特に僕みたいに先の見えない病人なんかは、時間軸は短めに考えると、少しでも欲しい情報を早く、沢山欲しいっていうことになるので、インターネットは欠かせない。それを「パソコン」でやる。「パソ」ですよ。やっぱ一人一台でしょう。当然プライバシーもあります。同じパソコンを複数人数で使うなんてのは、非常識だよね。第一、使いたいときに使えないなんてのは考えられないから。もちろん、人それぞれだろうけど、僕はそう言うのイヤだな。

 メールに関しても、勿論迅速性とかね、情報量は違うにしたって、基本は「手紙」なんだから。そうすると、手紙にまつわる常識やルールは同じだよね。読みたくないメールは封を切らずに捨てればいい。変な気起こして封を切っちゃうから、へんなDMに引っかかってアホな商法に引っかかる。ウイルスとかね、個人情報の流出ってのはもちろんインターネッ独特かもしれないけど、メールに関しての基本は、別にインターネットだから、手紙だからって違いはないよね。まあ、「常識の定義」ほど難しいモノはないんだけど、それでも、そう言う意味では同じだと思うんですよ。人のメールを許諾なしに読むのもね、プライバシーの侵害。たとえどういう関係であったとしても。

 本屋に雑多に並ぶ雑誌やら本やら。それと同じで、検索サイトでヒットする様々なHP。見たければ見ればいいし、見たくなければ見なきゃ良い。立ち読みと同じ。でも、見たくてみつかった時はホント、「お得」。でもね、人に押しつけてもらいたくないんだよな。良い例がウチの嫁さん。「新聞にこんなの載ってたよ」ってぐらいならばいいです。電車の吊り広告程度までだな。けどね、「今日の新聞の何々欄にこんなことが書いてあるから読んで!」と、ご丁寧にその面開いて持ってこられるのは僕は一番イヤなんです。よくそれでケンカになるんだな。話題を共有したいということで、読んで欲しいってのもあるのかもしれないけど、教えてくれるなら見出し程度までにして欲しいんだよね。「こんなの載ってたけど・・・」に対してね、「あ、オレ、興味無えわ」で、さらりと終わって欲しいんですよね。勿論、興味ある時は読みますけど、ぞれ以外も全部ってのは困ります。

 まあ、公開情報が不特定多数の人の目にさらされるっていう意味ではね、特異的ですけど、それを認識していればいいだけのことでね。勘違いさえしなければ、と、思うわけです。まあ、僕自身が一番勘違いしてるかもしれないけどね(爆笑)

 何だか今日は支離滅裂だなあ・・・(汗)

 で、昨日は久しぶりに鯛釣りに行って大漁! 別項に釣行記もUPしますね。

 釣りに行くとね、色んなメール頂くんです。まあ、釣り仲間の皆さんはほとんどが「よかったねえ」と好意的なんだけど、それ以外の人だと、必ずしも好意的じゃなかったりしてね。わかりますよ、お気遣いは。しかしね、ここまで来るとね、いい加減にしてよって部分もあるだよね。まあ、ワカランヤツにはだんだんとリアクションをしなくなるからね。それに気づいてくれなきゃそれまでってことです。

 しかし、11月は辛かったなあ。午後のお腹の張り。4月に田無の実家からN病院に救急搬送されたときよりもお腹が張ることしばしば。けどねえ、人間悲しい。慣れちゃうんだよね。で、痛いとか、苦しいってのもね、以前に比べて言わなくなっちゃうんですよ。黙って波が収まるのを待つしかない。騒いで病院担ぎ込まれてね、救急処置ったってね、あのときだって平気で2時間3時間ほったらかしだったんだから。騒いだって回りには五月蠅いばっかしでね。でも、騒がなければ今度は「具合がいいのかな」と取る人もあるし、ホントに参っちゃいます。自宅にいて、痛さ辛さに絶えてだまってじーっとしていればね、ただ静かなだけと、思われてもしょうがない。まして、癌や難病でもないからねえ。医者がほったらかしの、ポピュラーだけど研究放棄されてる術後癒着性イレウスですから(笑)。

 人の痛みを理解するってのは、やっぱり自分が相当痛いのを経験しないと無理だよね。それと、あまり同類扱いしないのも大事。同じ病名だってね、発症部位がちがったり、あるいは部位が同じでもね、感じ方ってのは個々によって違うよね。立ち入った共有意ってのは非常に危険ですね。本音で言うとね、ごくごく限られた友人知人が、僕を支えてくれています。それ以外の人は支えていない、という極論は言いたくないんですが、うーん、なんて言うんだろうなあ・・・このあたりの表現がねえ、僕の貧弱な表現力じゃねえ、難しいなあ・・・。

 続きはまた、気の向いたときに!

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