○2003年10月24日:病気の経過を振り返る(2003年10月8日退院から再入院まで)

これを書く前に・・・・

仕事についての話は、もう少し先になったら書きます。とりあえず退院翌日空白の10月9日とでもしておきましょうか(笑)。簡単に書くと、仕事は前回の入院前から辞めることになりそうな予感がしてました。

もう一つ。仕事が原因のストレスで今回の病気になった、あるいはストレスが病気に拍車をかけたということはありません。どっちかというと、病気が先で、それが仕事に影響がでてしまったというべきですね。まあ、このことは何れ・・・また。

 近藤誠さんの本について。居酒屋ミヨシに、皆さんに読んでみて、と、随分書き込みました。

 お勧めする理由として、自分自身がガンに関するイメージが変わったというのがひとつと、どんな病気であろうとも、医者にかかる患者って、もっと主体的になれるんだな、と、いうのがもう一つの理由でした。「ならなきゃいけない」じゃなくて、「なれる」ものなのです(強調)。

 一部の人に勘違いされたようですが、ボクは何が何でも切らないとは、一言も言ってません。くれぐれも誤解無きように。でも、当然ながら、できることなら、切らずに済ませて経過をみたいよねって思いました。そりゃそうです。腫瘍が悪性か良性か、そんなことよりも、切らずに判断する方法って無いの? ってのが、願望でした。切らないことを望むのではなく、切らずに判断する検査手段がないのか? と、言う意味です。残念ながら、小腸に関しては、なかなかそう言うのが無かった、というのを、退院してインターネットで検索したり、とあるお医者さんにメールで相談したりして、ようやくわかりました。こういう情報検索が、前回の入院中は思うようにできなかったのです。退院後、WEB上で片っ端から調べました。色々と調べるうちに、そうか、そうなのかと、自分で納得して、じゃあ、切るしかないなと。

 腸の腫瘍ってのは、仮に今、問題が無くても、腸閉塞のさらに重篤な腸重積という症状に繋がるケースが非常に多いようで、これは嫌だなと思いました。

 開腹手術をすると、その傷が治るときに、また癒着がおき、そのおきかたによっては、また腸閉塞になるかも、という不安もあります。この部分、わかります? 腸閉塞って、経験しないと、苦しみ、なかなかわからないもんです。今ある症状を伴わない腫瘍が、悪性新生物だったらどうしようか、なんてことよりも、パンパンに腸がふくらんでにっちもさっちもいかない症状。これが嫌だから、お腹に新たな傷を刻み、原因を増やす、どうどうめぐりになりかねない、ってのが、すごく嫌でした。

 傷が治るとき、癒着でもってバンドというのが出来たり、あるいは手術時の傷の直下に小腸がくっついたりするそうで、これが腸を締め付けると、その部分が狭くなったり、あるいは折れ曲がって詰まる。こういうのを機械的イレウスと言うのだそうです。25年前の盲腸の傷跡付近に、バリウム造影で通りのわるい所見がありました。腫瘍の部分はすんなり通ってるし、狭窄も見られない・・・でも、はっきりしない・・・。ガンの研究もいいですけど、誰か腸閉塞の研究、もっとやってくれませんか? 切らなきゃわからんなんて、ねえ。今時って、思いません?

 そして今度は小腸腫瘍について。小腸の腫瘍って消化器全体の各種腫瘍(ガン等悪性新生物も含む)の1%以下なのだそうです。だから全部切っちゃうのかな? とも思いました。患者から取り除くよりも、医学の標本を増やすのが目的だったりして? そういう勘ぐりもしましたよ。珍しい珍しいって何度も言われりゃ、患者がそう勘ぐるのも無理ないですよ。しかも、地元医師会のカンファレンスで、ボクの症例、注目されてるって。これまでに通ったT医師・M医師も両方ね、全部経過聞いているって。ご心配頂けている、という気持ち反面、貴重な標本保持者でもある自分・・・複雑な心境です。

 退院後、やはり中程度の腸閉塞を起こしました。10月13日、切るかどうか(実際には切ろうと決めていた)の相談をするため、東京田無の実家に自分で車を運転して帰りました。運悪く雨で、しかも各所で渋滞が。こうなると、また、長時間座った姿勢になります。ガスがたまるのが分かります。同乗者居ないから、憚らずガス、出そうとするけど、うつ伏せでお腹伸ばさないとちゃんと出ないんです。だんだん、きつくなってきたけど、騙し騙しガス出しながらようやく夕刻に実家に到着。

 ちょっと横になったのですが、またお腹が張ってきました。直後に嘔吐。その後夜になって下痢。でも、とりあえず吐けて、出てくれたので、お腹はへこみました。翌朝は朝食、食べられました。症状再発しないうちに、道が空いている時間帯に、さっさと帰りました。もちろん、両親には切ることを告げました。

 翌15日午前、外来で消化器内科のK医師の診察を受ける。

K医師:「その後どうですか?」

と〜る:「先生、切って頂くことにしました」

K医師:「そうですか、そのほうが良いですね。どうしてそう決めました?」

と〜る:「イレウス再発したときは切ると決めてましたから。昨日、軽度ですがまたなりました。」

K医師:「そうですか、また。それじゃ、手術については執刀医がK外科医長になりますから、ちょっと待ってね。」

で、10分後ぐらいにK外科医長から呼ばれる。

K外科医長:「決心しましたか」

と〜る:「はい。よろしくお願いします。」

K外科医長:「何か希望はありますか?」

と〜る:「切ればまた腸閉塞の懸念ってのがあると思いますが、出来るだけ低侵襲でお願いします。」

K外科医長:「わかりました。出来るだけご希望に添えるようにします。ただし、低侵襲を意識しすぎて、手術が危険になったりすることは本末転倒ですから、安全最優先で判断させてもらいます。」

と〜る:「よろしくお願いします。」

消化器系手術なので、輸血の必要はほとんどないらしいが、このところ、同種血輸血の事故・事件が多いので万一の時のための自己血確保を申し出る。

翌日16日。自己血確保のため、再度外来へ。自己血確保する患者さんは少ないようで、大勢の看護婦さんがやってくる。400cc用のバッグに、採血針とチューブがセットになったものが用意される。採血の針って太いよねえ、昔、献血よくしたけど、こんなに太かったっけなぁ?(汗)

ベテラン看護婦さんが右腕の良い血管に一発、と決めてくれたのだが、なんと血がうまく流れて行かない。手を握ったり開いたり、腕のゴムバンドを締めたりゆるめたり、色々やったけど、40分で僅か130ccしか取れない。それ以上流れなくなった。「残念だけど中止!」。

針を抜いたら、なんと、血管から赤いミミズ1匹???ではなくて、針の中で血がゼリー状に固まったのでした(激汗)。

結局は13日の亜イレウス、その後の嘔吐・下痢で脱水症状になっていたようだ。帰る前に1本、エスポーという新薬の造血剤0.5ml注射される。支払いの時ブッタマゲ。この僅かな造血剤が3割負担でも1万円近くする。入院後の生保の通院保障もこれでパーです(泣)

採血は21日に延期。それまで毎日通院して、点滴1本。食事では出来るだけ血液サラサラを意識して、ということで、以後、毎日納豆2パックと、もろみ黒酢30ccに梅干し1個・蜂蜜小さじ1杯入れたものを湯で解いたドリンクも1日2回飲んだ。ポカリも1日1リットル。また亜イレウス起こすのが怖いので、ご飯は七部粥、おかずも柔らかめにしてもらう。

この食事、様々な意味で効きましたねえ。便通は良いし、お腹の張りも減ったし、多分採血も今度はうまく行きそうな感じになってきた(笑)。

以後は土日も含めて毎日1本点滴を受けに外来通院。

20日。念のため採血前に点滴1本。1時間ほどで500ccが吸い込まれるように体に入って行く。K外科医長の指示で、確保量は200ccで抑えるとのこと。さらに今回は、肘の関節の掌側でなく肩側の太い静脈を狙って針を刺してもらう。

さあ、何分かかるか??? 前回集まった看護婦さんが再び集まって来る。

なんと、あっという間でした(爆)。「少しはサラサラになってるかも?」 ぐらいの予想を大きく上回って、高速で血液バッグに血が流れて行く「すごーい、全然違う人の血みたーい」と、一人の看護婦さん。自分でも驚いた。黒酢&納豆パワー恐るべし。なんと5分かからなかった。逆に、200cc用バッグに規定量以上入り過ぎると、中の薬剤と血液のバランスが崩れて血が固まってしまう。「鉗子鉗子、鉗子は何処?」 おいおい、準備しといてよ・・・(汗) 「ありましたありました。早く早く!」 間に合った〜・・・。計量秤の指針を薬剤師さんがカウントして、別の看護婦さんが鉗子でチューブを挟んで無事、採血完了。帰ろうとしたら「エスポー今日も1本打ちます」って、おいおい(汗)、また1万円が(泣)・・・・・ちなみに、エスポーのメーカーはキリンビールです。退院しても、キリンビールは飲んでやらんぞ〜!(爆)

入院前日の21日、事務的な手続きの準備をする。11月1日からの健保任意継続に必要な、嫁さんの非課税証明書を市役所に取りに行ったり、前回入院の生命保険からの保険料受け取りのための書類を書いたり。忙しい忙しい。

つづきはまた!

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